もう10年になる。
僕は初めて自分の部下の葬儀に参列した。
彼は再婚したばかりで、奥さんのお子さんととてもうまくいっていて幸せそうだった。
「娘ふたりは実の子じゃないのに、とても懐いてくれて、かわいいんですよ。」
満面の笑みで語っていた。
ある時、相談があるという。
「室長、実は余命宣告されました。あと半年です。」
どう反応していいかわからなかった。
かける言葉が見当たらない。
「末期がんです。でも、ギリギリまでこの仕事続けさせてください。」
彼はずいぶん変わった。
以前の彼は勤務態度が悪かったらしく、いろいろな部署をたらい回しされていた。
そういう輩が最終的に僕のところに配属されてくるのはよくあることだった。
「僕は病気に感謝しているところもあるのです。命に限りがあるとわかったら、この仕事がすばらしいものであることが良くわかりました。今は、生徒の前で授業ができることが本当に幸せなのです。」
彼の言葉に嘘はなかった。
彼と接している生徒の様子を見ればよく分かった。
以前の彼の同僚も上司も彼の変貌ぶりに驚いていた。
それから4カ月後、彼は仕事を辞めて、入院した。
もちろん、お見舞いに行った。
病院での彼はすでに歩くのがやっとの状態だった。
多くの機器や管が彼に付いていた
。
「室長、こんな姿になっちゃいました。でも、会社にもどりたいです。授業がしたいです。」
泣けてきた。
「室長というのはやめてよ。もう上司でも部下でもなく、友達として来てるからね。」
今度は、彼が泣き始めた。我慢していたのが、堰を切ったように。
「友達なのですね。うれしいな。」
別れ際に、彼が私に頼みがあるという。
僕が出かけた先で見たものを写真で送って欲しいという。
もちろん、快諾した。
それから、1カ月程は、出かけた先で見たもの、食べたものを彼に送信した。
簡単な返事が返ってくる。
きっと、身体がつらい状態になっているのだろう。
かなり肌寒い日に、可児市にある花フェスタに行った。
広い場内を散歩し、いつものように写真を送った。
返信がなかった。
あとから奥さんに聞いたことだが、彼は僕が送る写真をいつも楽しみにしてくれていて、寝たきりになっても、スマホを枕元に置いていたらしい。
やはり、返信がなかった時、危篤状態で、それから間もなく亡くなった。
今でも、会社にもどりたいと言った彼の顔が忘れられない。