ブロック長は、5名が担当した。
本部長、副本部長(入社時の元直属の上司)、そして室長から昇格した3名である。
それを機に私は、課長に昇進した。
会社で初めてのブロック制度であったが、なぜかこの体制は1年で終わり、もとの管理体制に戻ることになった。
私は、ターミナル校と呼ばれる一般校の5倍ぐらいの収容数の校舎を担当することになった。
しかし、そこは年配の課長が数年担当していたが、在籍数が伸びず、不振が続いていたところであった。
ターミナル校は、4校舎ほどあり、単独で300名ぐらいの在籍数で、名古屋市内でも集客しやすい一等地にあった。
結果的にここを立て直すために6年間担当することになるのだが、担当初年度は120~130名ほどの在籍者数だった。
さらに前担当者から近隣住人とのトラブルが続いており、それが解決されておらず余計に評判を落としていた。
直属の部下は、15名ほどいたが、10名は非常勤・新卒新人であったため、生徒・父母のケアは、任せられない状況だった。
私はほとんどの授業から抜けて、ひたすら、生徒、父母、近隣住人対応に専念した。
ターミナル校では、毎週日曜日も出勤し、近隣の一般校の生徒を集め、テストとその解説をするのが役割でもあった。
このころの私は、1日の勤務時間は14時間以上、年間休日は50日未満という生活を送っていた。
また、勤務時間外でもトラブルを起こしていた近隣住人のところへ、足繁く通って、ご迷惑をかけているお詫びや生徒・父母からの頂き物をおすそ分けに伺ったりした。
時には導かれるまま部屋に上がり込み、しばらく世間話をするようになり、関係性の改善に努めた。
ここで3年目を迎える春の入会説明会では、80名収容の教室が溢れるぐらいになり、順調に成果を積み重ねて、生徒数が320名ほどになった。
しかし、このとき、この結果が、前担当責任者が面白く思っていないことに気付くべきだった。
後々に思い知らされることになる。