仕事に夢中になり、気づくと40歳を目前となっていた。
一般に40歳になるとずいぶん身体に変化が現れるという。
私も例外なく、いろいろと出始めた。
まず、体重増である。
大学生のとき、53kgが65kgを超えている。
また、身体のだるさが回復しないので、出社前に病院で診察を受けたところ、膵炎を発症していた。
決定的だったのが、メニエール病にかかったことだった。
当時、原因はストレスで、対症療法しかなく、完治は望めないものだった。
ストレスを軽減するのは無理な話で、年々大きくなるばかりである。
仕事のかえりになるとめまいと吐き気が酷くなり、車の運転が困難になる為、帰路の途中で停車し、そこで朝を迎えるということも少なくなかった。
段々と発症する頻度が高くなってきたため、仕方なく、会社には状況を報告した。
体調とは逆に、仕事は好調を維持し、校舎も手狭になったということで、5階だてのビルに建て替えられた。
このころに、教師の評価制度の大幅改定が行われ、教師には次のような評価項目が設定された。
・年に2回の生徒父母アンケート評価(生徒宅に不定期で郵送後回収)
・担当している小学生の毎週・毎月テストの偏差値推移
・担当している中学生の毎月のテスト偏差値の推移
・担当している中学生の通知表の推移
・担当している小中学生の業者テストの偏差値推移
これらを全て数値化して、教師のランク分けをした。
5ランクに分けられ、トップランクに昇格すると、専用カバン(30万円ほどのブランド品)と永久称号が与えられ、在籍している間、手当が毎月3万円支給される。
さすがに昇格基準が厳しいために、後に、多い時でも全社員数の5%ほどだった。
スタート時は、トップランク者はなしで、直近1年間の成績で各ランクに振り分けられた。
私は、上から2つ目で、好位置からのスタートではあったが、このシステムには全く興味がなかった。
すでに管理者の位置にいたので、自分が目立った成績を取ることよりも、部下が如何に優秀な教師になるかを演出する立場であることを自覚しているつもりだった。
また、かつて、入社半年後に校責任者となり、自分の頑張りが目立ちすぎて、他の教師の存在感を希薄にすることになり、反感を持たれたことは大いに反省していた。
私は、極力自分の存在感を消し、裏方に徹することにしていた。
それから2年後には、最低ランクまで落ちていた。
下3つのランクは、毎週2回の午前中の研修に出席することが強制されていたので、体調がすぐれない私にとっては、非常につらいものであった。
それでも、校舎経営は順調だったため、自分の考えに間違いはなく、仕方がないことだと納得していた。