入社して12年が経とうとしていた。
本部長は、これまでの功績が認められて、専務に昇進した。
入社時に直属の上司だった人は、教務部長まで昇進していた。
実質的に会社のNo2、No3である。
これからも、この二人を中心に会社運営がなされていくことは明白であると誰もが考えていた。
しかし、ここから歯車が狂い始める。
まず、突然、No2の専務が退職した。
続いて、教務部長も社内トラブルの責任を取って、退職した。
決して明瞭な形で派閥があったわけではないが、私はこの二人に続く位置にいると認識されているのは確かだった。
会社の執行部とも言えるメンバーが一変し、この執行部の中心になったのが、かつて私が立て直しをした校舎の前任者だった。
この退職劇の直後の人事異動では、ターミナル校から、かつて、最初に校責任者を務めた校舎に戻された。
ターミナル校での立て直しの功績が認められたのか、次長に昇進した。
懐かしい校舎は、残念なことに、開校当初の勢いはなくなり、校舎も移転していた。
そこを立て直してみろということである。
皮肉にもこの数年間は、執行部の例の人がかかわっていたが、改善が見られなかったようである。
生徒の在籍数は、私が担当していた時の半数に減っていた。
少子化が進み、近隣に大手のライバル塾が軒を並べるようになったのが原因ということだった。
心機一転。
ターミナル校と違い、担当者は私を含めても5名。
授業も久しぶりにフルで入ることになった。
さっそく、嫌みな電話がかかってきた。
執行部からだ。
次長職で、校責任者である私の教師グレードが最下位では、示しがつかないから何とかしろという内容だった。
「わかりました。すぐにランクアップします。」
その日から、1年でトップランクの教師の表彰を受けた。
理数担当では初の昇格だった。
その後しばらくは何も言われなくなったが、明らかに私に向けて、不穏な空気をぶつけてくることはしばしばあった。
その間、校舎の生徒数、合格実績も順調に回復し、2年で200名を超えた。
私の持論では、これ以上の人数増は無理に考えずに、地元の小中学校の占有率を高めることに集中し、合格実績の向上に努めることである。
毎日、授業の合間を見て、父母面談を精力的にこなした。
会社の執行部は、面談ではなく、毎日なるべく多くの家庭に、その校舎の全担当者でお伺いのTELをかけることを強要したが、私の判断で面談を優先した。