53歳で他界した親父が大嫌いである。
親父の悪口はいくらでも出てくる。
高校にも行かず、中卒で苦労しているのに、私や妹に学校なんか行かなくていいから、働いて家計を助けろというあさはかさ。
がんこで全く人のいうことを聞かない。
医者嫌い。
だから、癌が末期になるまで…。
いいカッコしいでお人好し。だから、友達に騙されて、借金を背負うことに…。
私は親父のようには生きたくない。
葬式。
喪主をやることになった。
三十になったばかりで、親を見送ることになるとは…。
会社を変わったばかりで大変なのに、あのクソ親父、どこまでも俺の足を引っ張るつもりか…。
疲れてクタクタで線香の番をする。母親も妹も私と違って、父親べったりだったので、憔悴しきっていてなにもできないから、自分がやるしかない。
息をひきとる時に、妹の美容室をなんとか出店してやって欲しいと言っていたことが頭から離れない。
勝手なことを言いやがって…。
葬儀の時、思ったより多くの人が参列した。
タクシーの運転手だった彼は、一応、営業成績は社員何百人かのうちでトップクラスだったらしい。
社長が来ていた。
君が息子さんか、君が大学に合格したときはお父さん本当に喜んで、会社仲間に得意げに話してたよ。合格発表も夜勤明けの朝一番で、車を飛ばして見に行ったそうだよ。
そんなこと全く知らない。
合格発表の朝、出かけるとき、全く無関心の様なそぶりを恨めしく思ってたぐらい。
こんなことぐらいで泣いてやるか。
何人かの会社仲間が来て、お礼を言ってきた。
仲間はずれになって、寂しそうにしている社員にいつも声を掛けて、グループを作って励ましていたそうである。
うーん。
小学校からの幼なじみも焼香に大勢来た。
そこに、俺の知らない親父の姿がたくさんあった。
挨拶が終わって、霊柩車に乗った。
泣けてきた。無性に。涙が止まらない。
とうちゃん。
久しぶりにつぶやいた。
2年後、妹の店はオープンを迎えた。