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「Job Change Part4」転職4

研修も1月の終わりごろに差し掛かると、候補者は自分も含めて4名まで減っていた。

研修の最初にあるペーパーテストが一番つらかった。

岐阜県で3年ほどの経験しかない私には、愛知県の受験情報の予備知識は全くないと言ってもよかった。

高校受験情報ならまだしも、私立中学受験情報などは0レベルからのスタート。

必死で勉強した。

まわりの諸先輩方を超えるのは無理としても、常に肩を並べる成績を取り続けないと、即ゲームオーバー。

そうなると、本部長推薦の私としては、本部長に恥をかかせることになる。

直属の上司にも同様なことが言える。

それは、絶対にまずい。

こんなストレス状態が2か月も続いている。

でも、緊張の糸がピンと張った毎日がとても楽しいのである。

学生時代や前職では味わえないスリルがあった。

武者震いが止まらない毎日が本当に充実していた。

ただ、眠かった。

睡眠時間は日々の授業の予習もあって、2時間ぐらいだった。

いよいよ研修最終日を迎えた。

最後は、来月の2月スタートの入会説明会のロールプレイだった。

残った4名が、本部長の前で各自2時間ずつプレゼンをして見せるのである。

準備に追われて、一睡もせずに最後の研修に臨んだ。

結果は、1週間後に各校舎の室長から伝えられる。

新規校舎は、すでに完成しており、備品もすべて搬入済み。

地元への宣伝、チラシ等は、12月からスタートしており、責任者とメンバーの決定を待つのみとなっている。

すべての研修を終えて、疲れ切っていたが、入試はこの1月から本番を迎える。

2月の中旬まで週末は、朝4時起床で入試応援のために、学校の門に駆け付ける。

実は、正月も返上で12月31日~1月3日までの3泊4日のホテル合宿の担当者にも立候補し、声が出なくなるまで授業をやり通した。

体調は最悪だった。

年末に風をひいてから、完治することなく、38度台の熱が下がらず、一時は声帯麻痺を起こし、1週間ほど声が出ない状態で授業をしていた。

板書とゼスチャーだけの授業は、異様な雰囲気だった。

そんな私に同情していたのか、生徒が授業に協力的だったのが妙だった。

いよいよ新規校舎の責任者発表の日が来た。

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